三 池 藩

三池藩はいまの大牟田市の南半分を治めていた藩で、藩主は立花氏、わずか1万石の小藩であった。

三池立花氏の家系
三池藩主立花氏は戦国武将高橋紹運の血をひく家系で、もとは豊後の雄大友氏の一族である。戸次道雪の系統に連なる柳川藩の立花氏とは、別系となるが、互いに養子をやり取りする深い間柄でもある。三池藩はわずか1万石の小藩ながら、藩主に優秀な人材がおり、若年寄など幕府要職を務めるものも輩出した。特に最後の藩主となった立花種恭は老中にまで任ぜられ、幕末の激動を乗り切った。

 

 

 

 

早鐘眼鏡橋   月舘への移封
三池藩は小藩であったがゆえに、進取の気性に富み、新しいものを取り入れて、豊かな藩を築こうと創意工夫に努めた。石炭の採掘もその一つとして特筆されるが、石造アーチ橋いわゆる「眼鏡橋」と水路を組み合わせて農業利水を実現したのも我が国初の快挙であった。   三池藩第7代藩主であった立花種周は、幕府で若年寄に昇進したが、讒言に遭い失脚した。気候温暖で住みよい三池の領地は召し上げとなり、厳冬を耐えねばならぬ奥州下手渡に移封となった。種周は藩主を退き、以後3代にわたって下手渡に治政を敷き、種恭の代になって三池に復封した。

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