『大牟田の宝物100選』より

炭鉱電車

 三池炭鉱専用鉄道で使われていた電気機関車を大牟田の人達は愛着を込めて炭鉱電車と呼んでいた。専用鉄道は、貨物輸送に重点が置かれていたのは言うまでもないが、従業員が通勤に利用したり、また、一時的には地方鉄道として、旅客輸送も行っていた。

  炭鉱電車の思い出としてよく語られるのは、従業員とその家族は無料で乗車できたので、それ以外の人もそれと成りすまして乗っていたとか、速度が遅かったので、運行中小便をもよおした乗客が窓から飛び降りて用便を済ませてから走って追いかけ元の車両に飛び乗ったとか、子供達が十円硬貨を線路において電車に踏ませてぺちゃんこにして楽しんだといった微笑ましいものである。

  電気機関車は専用鉄道では、二十二台が使われた。

  一九一一年に最初に導入された電気機関車はドイツのシーメンス社製のものである。凸型のユニークな形状をしており、長さ六・八メートル、幅二・七メートル、高さ四・二メートルで、重量は二十二トンある。四台輸入されたうちの一台が未公開ながら保存されている。

  次に、一九一五年に長崎の三菱造船所でつくられた電気機関車が五台三池に来ており、うち一台が保存されている。国内で製造された最初の鉄道用電気機関車として貴重な存在である。シーメンスの電気機関車をコピーして製造されており、全く同じ形状とサイズである。三菱造船所からは一九一七年にも二台来ている。

  三池製作所製の電気機関車は、一九一七年から一九三四年まで六台記録されているが、シーメンスとそっくりにコピーしたものと、同様の形状ながらやや大き目につくられたものがあった。三池炭鉱閉山後、三井石炭から三井東圧化学(現:三井化学)に引き継がれて使用されている電気機関車の中に、三池製作所製の一号機が含まれている。

  芝浦製作所(現:東芝)で製造された電気機関車は、一九三六年から一九四九年まで七台あり、うち六台は凸型の形状を踏襲しながらも、重量四十五トンの大型のものとなっている。一九三六年製の一台が保存されている。

  このほか鉄道と同じ一〇四七ミリメートルの線路幅のものとしては、三池港の構内で使われていたものが保存されている。重量十五トンのもので、アメリカのゼネラルエレクトリック(GE)社製が十台と三池製作所製が二台記録されている。このうち一九〇八年GE製の一台が保存されている。形状はL型で、運転手が乗降するための扉がなく窓から出入りしていたとのことである。三池に来る前はパナマ運河で船を引いていたとも伝えられている。全体に偏平な印象と、速度が遅いことからガメ電車(亀電車)と呼ばれていた。わが国に現存する電気機関車としては最も古いものであり、大変貴重なものである。

 1909年頃から万田坑を始めとして、坑内運搬にも、電気機関車が使われだしたが、これはもちろん、トロッコレールの線路幅に乗る車体の小さなもので、鉄道用のものとは通常区別して考えられている。

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