『大牟田の宝物100選』より

三川電鉄変電所

   旧三川電鉄変電所は、三池炭鉱専用鉄道の高架土盛りを隔てて、三池港の東に隣接する位置に建つ優美なれんが建物である。二棟の屋根が連接して一つの建物を構成するように建設されている。

 東西約三十三メートル、南北約十七メートルの、東西に長い建物である。南に面した長い壁には、二つの出入り口と、六つの窓が並んでいる。軒に近い高い部分にも、小さな窓のようなものが十二個並んでいるが、この内の十個は太い電線がつながっていた碍子(がいし)がはまっていた跡である。東に面する短い方の壁には、二つの出入り口と一つの窓が並んでいる。

 窓や出入り口などの開口部は、全て上部をアーチ型にれんがを組んで、しゃれた意匠となっている。二棟の屋根の間の支壁は、れんがで構築した上に漆喰を塗って白くしてあるが、外壁と同様に上部がアーチをなす開口部が並んでいる。

  赤れんがをイギリス積みにして建築されており、一九〇九年からすでに九十年以上を経ているが、非常に遺存状態が良い。三池炭鉱関連のれんが建物の中では、最も良く保存されているといえる。

  一九〇七年に建設された四山発電所で起こした電力を、鉄道用に変電する施設として、一九〇九年に発電所の南隣に建てられたもので、当初は四山変電所と呼ばれた。その後、発電所が三川発電所と改称されたのに伴い、三川変電所と改称された記録が残る。三川配電所と呼ばれた時期もあるようであるが、一九九〇年の近代化遺産の総合調査の時には、三川電鉄変電所と呼ばれていたため、近代化遺産としては、この名称で周知された。

  三池炭鉱閉山に伴い、三池炭鉱専用鉄道の本選の大部分が廃止されたため、本来の変電所としての機能は役目を終え、重要な近代化遺産として、保存、活用が期待される一方、当時の所有者の三井石炭社としては、不要な施設として解体がもくろまれる状況であった。その時、この建物を救ったのが、現在の所有者である株式会社サンデン(代表取締役:北川義法氏)である。

  サンデンは、元は三池炭鉱の電気工事を請け負うことで経営を維持されていた。仕事を通じてこの建物の素晴らしさを直に感じておられ、愛着も持たれていたため、解体の危機を見るに見かねて、会社規模からすれば大変に思い切った投資をして買い取られたとのことである。

  閉山後、敷地には草木が生い繁り、一時は廃虚の観を呈したものであるが、北川氏の手により完全に復活を遂げた。近代化遺産の保存は、使ってこそのものというのを実感させられる取組みである。二〇〇〇年十二月には、国の登録文化財となった。

また、最近この建物には新しい生命が吹き込まれた。北川氏は、この建物の屋根に太陽光発電システムを設置したのである。会社の事務所兼資材倉庫とされてきた建物が、小さな発電所の役割も担うようになった。

歴史的建造物の再生保存活用に加え、次代に期待されるクリーンエネルギーの実践の場としても生かされていくこととなり、今後の展開が楽しみである。

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